青くて重たい夜が僕達の上に降り積もって、道を一つに狭めていくアニメ、今週は角笛が鳴る時。
マスターウルティマが殺され、笑美と妖怪軍団が反旗を翻し、爾郎の過去と孫竹の真意が明らかになり、人間以外を繁栄の生け贄にする計画が勢いを増し、機械の命たちが次々倒れる。
いろんな事が起こりすぎて頭が痛くなる回であり、爾郎が言い続けた『それでも』が『所詮』に置き換わってしまう回でした。
そこに込められた哀しみが多いだけに、ちょっと駆け足なのは正直惜しいね。


様々なキャラクターが否応なく状況に飲み込まれていく今回ですが、これまで留保されていた状況がいっきに雪崩を起こした結果とも言えます。
警察と軍が統合された超人によるファッショ部隊の設立は、二期になって加速した国家による超人統制の流れが究極化したものですし、繁栄のために古き存在を踏みにじるコンクリートの暴力も、例えば第16話や第17話で描かれたものの延長線上にあります。
あの時はあるいは祭りによって御霊を鎮められ、あるいは新天地に去っていった旧来の超人たちですが、『知的種族』として『殺害』すらされない、『エネルギー資源』として『処理』される無残を前に、ついに蜂起を決意したわけです。

その先頭に立っていたのが笑美であり、マスターウルティマの殺害と島の占拠は、は彼女が自分自身のミッションに素直になった結果だといえます。
彼女が超人課という国家主導の超人管理(弾圧?)集団に籍をおいていたのも、過激化する弾圧をどうにか内部からコントロールし、『怪物ランドのプリンセス』としてどうにか人間社会の中に道を探していたからなのですが、その努力は虚しく内破したわけです。
『超人が存在する未来の存続』を己のミッションとし、『人間』と『人間以外』の間の差異にこだわらないジャガーさんが、国家ファシズムのど真ん中に身を置いてでもその未来にたどり着こうとしたことと、笑美の行動は鏡合わせだといえます。
一見ヒューマノイドという分かりやすい共通点を弾圧の根拠にしているように見えて、スリーバードメンやマウンテンホースといった『人間』も容赦なく踏みにじる超人ファシストを見ていると、彼ら(と里見?)が定める『人間』の定義は恣意的かつ狭量です。
ジャガーさんが全てを切り捨ててでも望む『超人の存続』というミッションも、踏み潰されそうな気がしますけど……そこも覚悟で大樹に身を寄せたかな。

マスターウルティマが代表していた『人間』と『人間以外』の選別作業が戦争の火種となり、両者の対立が軸となるのであれば、『人間以外』の代表者である笑美がどのような考えで動いていたのか深く描写するエピソードは、ぜひとも欲しい所でした。
彼女は爾郎を捉えつつ愛する『悪しき母』であると同時に、迫害された民の代表として政治力を行使し、なんとか生き延びる道を探す公人でもあったはずです。
マスターウルティマの殺害と島の占拠は彼女の公的な側面が加速させた行動なわけですが、これまでの描写はあくまで『笑美が爾郎をどう扱うか』に焦点があたっており、彼女の公的立場やそれに伴う価値観を深く掘り下げる物語は、残念ながら用意されなった。
無論これまでの描写をパッチワークすることでも、彼女のパブリックな側面は再構築できるわけですが、多数の『人間以外』を巻き込み、主人公たる爾郎が先頭に立つこの戦いが超人たちのラグナロクであるのならば、やはり笑美個人にスポットを当てるエピソードは欲しかった。
言っても詮無いですが。

笑美自身は島を隠れ里として利用し、デビラとデビロのようにひっそりとした暮らしを目指していたわけですが、ここに爾郎が食い込むことで事態はより過激化していきます。
『所詮』怪獣は人間の敵とうそぶく彼によって、コンクリートの暴力からの撤退戦は『超人』との正面衝突に変わってしまい、殺すか殺されるかの生存競争へと変化してしまう。
これを避けるために様々な悪行を積み重ねてきた笑美ですが、爾郎の破滅的行動を止めることはなく、影胡摩やカムペを共に連れて皆殺しの戦場へと突き進んでいく。
その方向転換が爾郎への『愛』故に黙認されているのだとしたら、これは心中に他者を巻き込むエゴイズムにほかならないわけで、『超人』と『資源』を分別する国家ファシズムの冷酷さと、そこまで差異はないでしょう。
無論笑美もその身勝手さは全て承知で、爾郎に貸した『私の事、ずっと好きでいてね』という呪いと一緒に燃え尽きることを選んではいるんでしょうが。

笑美はクロードの公的三択-『正義』『自由』『平和』-から軸を変え、『愛』や『友情』という私的領域のために超人が戦うことを肯定します。
しかしそれがどれも正解ではない三択から抜け出す正解ではなく、自分の空疎を埋めるために誰かを踏みにじるエゴイズムになる危険性は、もう帰ってこない『天使の星』を追い求めるために無政府テロリストになったアラクネが、第15話で既に示していたとおりです。
逃げて消えるのではなく、戦って殺すこと、そしておそらくは破滅することを選んだ爾郎もまた、超人が『愛』を選ぶ危険性を認識してはいるわけですが……あえてそこに飛び込んでいった真意は、今回は不明なままです。

 

爾郎はまるで自ら逃げ道を断つように、己のオリジンを孫竹に訪ね、決別を言い渡す。
『正義があると信じてくれ』とすがる孫竹の姿は、第2話で風朗太に『いつまでも子供でいてくれ』と願った爾郎の姿と、奇妙に重なります。
爾郎の言葉を無視して風朗太に『大人』になってしまったように、爾郎は孫竹と笑美が作り上げてくれた『超人課』という優しい嘘をはねのけ、贖いきれない罪の重さに膝を屈する。
自分が『正義の味方』を目指す資格などないのだと、全てを傷つける破壊の権化であっても『それでも』夢を見続ける子供で居続ける道から、背中をそむける。
でもそれは、風朗太のように『大人』になることを『選んだ』といえるのでしょうか。

厳しすぎる現実が全てを塗りつぶし、個人が止めるにはあまりにも大きすぎる社会の圧力が超人ファシズムという一つの形となり、大多数の繁栄のために少数派を『資源』に切り替えてしまう残忍な世界。
これまでこの物語はそんな厳しさを妥協なく描きつつ、『それでも』綺麗なモノを求め、それ故ぶつかり合ってしまう『人間』の姿を描いてきました。
爾郎はそんな現実と理想の間に挟まれ苦しめられつつ、『それでも』を探し続ける子供だったわけで、そこに何か一つの答えが出たような幻想を抱けたのが、敵味方の垣根を超えて災厄を食い止めた、前回第22話の共闘だったと思います。
しかし今回、事態は一気に地辷りし、やはりあの戦いは一瞬だけの夢物語であり、各々の『正義』を乗り越えて超人が手を携える未来など、たどり着けはしないユートピアなのだと突きつけてきました。
今回多数の『人間以外』を道連れに、『巨大な破壊エネルギー』という己の起源に正直になった爾郎は、そんな現実に押し潰されてしまっただけのように、見えてなりません。

前回のジャガーさんのように、あるいは今際の際に正義を夢見たライトのように、爾郎を保護するために大量の不正義を積み重ねた孫竹のように、あるいは機械の亡霊すらも爾郎を理想化するクロードのように。
皆が爾郎に『子供のままであってくれ。俺達が負けた現実の重たさに負けないでくれ』という思いを押し付けてきたわけですが、爾郎は今回ついに『それでも』と言い続けるのをやめ、『所詮』とうそぶいて『大人』になってしまう。
しかもそれは、もしかしたらデビラとデビロ、あるいは畑山家のように人間の残酷さから逃げて、社会の裏側で生き延びる未来を掴めたかもしれない『人間以外』を大量に巻き添えにする、残酷な道です。

爾郎が孫竹を拒絶する理由は、『俺には優しくされる資格が無い』からでした。
自分が無意識のうちに踏みにじっていた犠牲を自覚し、その痛みと特権性を振り捨てる彼の姿は、第5話でメガゴンを殺した時に、もしくは第20話で民間人の犠牲が出た時に、僕が望んでいた贖罪なのかもしれません。
でもこうして形になってみると、それはとても痛ましく哀しい姿でした。
『所詮』自分は破壊の権化で、触るもの皆傷つけて、『正義の味方』に憧れる資格などないから、色んな物を道連れに滅んでいこうと押し流されるのではなく、どうにも解決できない矛盾に『それでも』立ち向かい続けて欲しかったと今更ながら願うのは、おそらく彼に理想を押し付けたキャラクターたちと同じく、酷く残酷なことなのでしょう。
あるいは、笑美だけはその痛みに膝を屈した爾郎に、母のように恋人のように寄り添ってやろうとしているのかもしれませんね。

次回予告で『それでも』と言い続ける爾郎の真意が、いったい何処にあるのか。
それがおそらく来週の最終回、最も大事な部分です。
『所詮』と現実を受け入れたように見える爾郎は、何かを隠しているように見えますが、その願いが一体何処にあるのかは、現状全くわからない。
巨大な悪を存在させることで『正義』を存立させるロジックは、他でもない同士・影胡摩が第19話で乗り越えた所なんですが……思い返せば、あの子も『愛』を選んだ女だったな。
物語が終焉に迫るこのタイミングで、爾郎はどんな『大人』になったのかは、否応なく来週分かってしまいます。
哀しい終わり方を避けることはおそらく出来ないし、それはあまりにもシビアな神化世界の描写を見ていれば、半分くらいは覚悟していた所でもあります。
ならばせめて、『正義の味方』に憧れ続けた少年が選び取った『大人』が、一つの答えとして成り立ってくれればいいなと、僕は願います。
爾郎のこと、俺も好きだからね。


これから起こるラグナロクの景気づけだとばかりに、機械の子供たちもバッタバッタと死んでいきました。
大鉄くんの『金属操作』の能力があまりにもメカ特攻すぎて、まるで稲穂を薙ぐかのようにあっけなく死んでいく彼らの姿は、哀しくもあり、神化らしくもあり。
どちらにしても彼らの死骸が、最早事態は後戻りできない状況に追い込まれているのだと教えてはくれました。

第7話では正義の機械として、迷うことなく苛烈な捌きを下していたアースちゃんですが、輝子が『夢』を教えたことで彼女の心は迷い、狂い、消耗して死んでしまいました。
人間の矛盾を学習し、善悪を迷いなく判別する生き方を変えていた彼女ですが、そのきっかけになった『夢』が彼女を死の淵に追いやっていったというのは、なんともやりきれない皮肉です。
あの時は何がしかの救いに見えた『夢』が、まるで知恵の果実のようにアースちゃんを楽園から追放し、死に追いやったとすれば、確かに輝子は魔界の存在だわな。
でも、アースちゃんも、輝子も、(付け加えてよければ俺も)こんなやりきれない結末望んじゃいなかったよね……。

定められた行き方を変えられない、変えたとしても壊れるしかない機械の純粋さは、今回徹底的に踏みにじられます。
『国家』に奉仕するために製造されたはずのメガッシンは、己の中に刻まれたプログラムに従い超人ファシズムを拒絶し、結果大鉄の手で死に至る。
アースちゃんのように複雑化する社会に耐え切れず、『悪を要求する正義』の矛盾を殺人と略奪で解消したライトは、末期に少年のような正義の夢を見る。
正義を夢見た機械たちを殺す超人ファシストたちが、仮面と制服に個を隠し、どんどん量産品めいた暴力機械に変貌していってる構図は、このアニメらしい痛い皮肉だと思います。
愛着のあるキャラクターが沢山死んだので、これまで以上によく刺さりますねホント……。

時に糾弾され、時に肩を並べつつ理想を追い求めた彼らが死んだことは、孫竹の優しさに決別したことと同じくらい、爾郎を追い込んでいるように思えます。
同じように肩を並べた白田さんをぶっ殺す決意も、ジュダスが持ってきたライトの遺言を受け取ったことが、大きな後押しになったのでしょう。
かつてヒーローソングを口ずさみ、天弓ナイトのマスクに興奮していたライトの無邪気な願いが、殺し、殺されて、殺し返す地獄めいた怨念のうねりを加速させる姿も、耐え切れないほどに残忍で神化らしいシビアさでした。


爾郎との心中のダンドリをどしどし整え、あんま望まぬ方向にヒロイン力を稼ぎまくってる笑美に対し、輝子はたいやきくんのカラクリを見抜いたり、ナレーションを担当して展開を圧縮したり、仕事しすぎて恋がおろそかな状態でした。
文字通り『虎の子』である人虎の力を笑美が抑えている以上、次回の活躍が約束されているようなもんなんで、そんなにワリを食ってる感じもしないですけどね。
つうか色恋の成就を全て蹴っ飛ばして、爾郎事態が滅びそうなオーラがムンムン出てるんで、ヒロインレース自体が不成立になりそうなんだよな……覚悟を決めてしまったように見える爾郎の心に、輝子が踏み込めるかどうかの勝負になってきてるな。
『大人の優しさに守られていた』という意味では、七年間事の真相を知らなかった輝子は爾郎と同じ立場なのだな。

里見は戦中満州で培ったであろうプロパガンダの技量を極限的に発揮し、発展のための代価として人格のある存在を『資源』に貶めるトリックを、社会に認めさせていました。
おそらく超人ファシストの成立にも強烈に横車を押してるだろうし、マスターウルティマという象徴一人を殺したところで、高度資本主義社会の欲望はバブルが弾けるまで止まりゃしないってことなんでしょうねぇ。
生き残るべき『我々』と死ぬべき『奴ら』の間に境界線を引き、それを『人間』と『人間以外』に重ね合わせる文法は別に里見の特許というわけではなく、戦いのたびに必ず展開されるレトリックとして、歴史の教科書にいやというほど書き連ねられているネタではあります。
しかしそれにしたって、『石油や石炭も生物の死骸なんだから、今怪物たちを溶かして燃料にしたって問題はない』っていう理屈に潜むヤダ味は、なかなか凄まじい。

ウルティマや里見の振り回す『人間』『人間以外』の境界線は恣意的かつあやふやなんだけど、そこで是非を問われるのは真実ではなく実力であるというシビアなパワー・ポリティクスも、この話がずっと続けてきたものです。
モノを言うのは力のあるなしであって、それが人間の真実に接近しているか否かではないからこそ、超人課も種々の隠蔽事件を展開できたわけだし、力に押し流されて全てを踏みにじられる立場になった。
栄枯盛衰が世の習いだとすれば、では人間代表として大衆の欲望を束ねた里見だけが一人勝ち残り、安全圏から高笑いするのか否かってのは、来週を見ないと分かりません。
ジャガーさんの言う『核エネルギーを使いこなし、石油利権による戦争もない平和な世界』が昭和の実像と程遠いことを知ってる昭和人としては、里見が見る『正しい世界』の夢もまた幻想でしかないよと言いたくなりますが、俺が神化の歴史に対して無力であるように、里見もまた昭和の実相を知り得ない哀れな超人なのだな……。
お互い、隣の芝生は青く見えるわけだ。


と言うわけで、世界は『所詮』このように残忍であるという諦めが全てを飲み込み、滅びの戦いに向けて世界が地辷りしていく回でした。
沖縄独立戦争は『人間以外』同士の内ゲバであり、どう転がっても『人間』は傷つかないというエゴむき出しの状況が整いつつありますが、その先にあるのは超人のいない未来でしょう。
迫り来る破滅を前にして、超人を幻想した破壊の象徴はいったいどんな夢を語り、唄を歌うのか。
どう転がっても来週、コンレボは最終回、僕はとても楽しみです。