診断が下ったその夜、私達夫婦は育てるに当たり分担を決めました。
主人は勉強関係の知的なことを、私は情緒を育てることにしました。お互いの得意分野だったのです。

私は一編の詩をかきました。それはこの先20年にわたり主治医の著書に必ず載るようになりました。


   滑りだした船

誰がこんなことを予想しえただろうか
君が重荷を背負って ドッグから滑りだしていたなんて

微妙な狂いがある 君の羅針盤
ほんの少し言うことをきかない 君の舵
私達が発した信号を 受け取りにくい君の受信機

君が自分の帆の張り方さえも 知らない船だったなんて
そんなこと 誰が信じられただろうか

だが君は すでに私から分かれ
君の力によってのみ運行される 固有の存在になっている
滑りだしてしまった船を
いつまでも湾内に留めておくことは出来ない
かといって 
私がいつまでも牽引していることも出来はしない

確かに私が産み落した君なのに
君の背負う重荷を 私は背負うことができない
君は君の力で その荷を背負うしかない

それなのに 滑りだした船を
大いなる海原へと 送り出さなければならない時間が
近づいている

やがて私の手が届かないところへと押し出される君
ほんの少し狂った羅針盤と舵と受信機を
持っていることすら知らず 無邪気に走り回っている君に
今 何がしてやれるのだろうか

きっと 極くわずかしかない
時間も 極くわずかしかない
それでも 君が君だけの力で 大海原へ出港する日までは
私の出来るかぎりの力で 君を支え力を付けさせる

だから 滑りだしてしまった船よ
この湾を出るまでに
羅針盤を 駆使できる力を付けよう
言うことをきかない舵を 修正できる力を付けよう
受信機の周波数を 調整する力を付けよう
それらの 残っている正常な部分を
最大限生かす術を覚えよう

そうして
出来るかぎり 大きな帆を張りなさい
帆の張り方さえ判れば
風は 友になってくれる
風は 行くべき道を教えてくれる
風は 世界の何処にでも吹いている
風は …きっと助けてくれる

君が出航するときは
私も一陣の風となり
力尽きるまで 君を送ろう

私が力尽きたその後は
初めて出会う多くの風を呼び込んで
君自身の力で航海を続けなさい
君は 独りではない

君は生まれながらのハンディを荷にして出港するが
その荷は
誰でもが何処ででも積んでしまう可能性のあるものだ
けっして 君だけが背負った負の財産ではない

だが君が
果たしてすばらしい航海日誌を記せるか
私には保証してやれない
総ては 全力で人生を全うし終えた君のみが
答えを見出すのだろう

だから 滑りだした船よ
どうか… どうか無事に生き抜いて欲しい

先に逝くであろう私の 唯一の願い 
そして 唯一の
        …… 心残り

私のこれが決意でした。